本記事はネタバレを含む可能性があるため、読みたくない方はこちらでおやめください。
この記事を読み進めている方にはすでに不要かもしれませんが、映画の概要はこちら。
「バットマン」の悪役として広く知られるジョーカーの誕生秘話を、ホアキン・フェニックス主演&トッド・フィリップス監督で映画化。道化師のメイクを施し、恐るべき狂気で人々を恐怖に陥れる悪のカリスマが、いかにして誕生したのか。原作のDCコミックスにはない映画オリジナルのストーリーで描く。「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸に、大都会で大道芸人として生きるアーサー。しかし、コメディアンとして世界に笑顔を届けようとしていたはずのひとりの男は、やがて狂気あふれる悪へと変貌していく。これまでジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー、ジャレット・レトが演じてきたジョーカーを、「ザ・マスター」のホアキン・フェニックスが新たに演じ、名優ロバート・デ・ニーロが共演。「ハングオーバー!」シリーズなどコメディ作品で手腕を発揮してきたトッド・フィリップスがメガホンをとった。第79回ベネチア国際映画祭のコンペティション部門に出品され、DCコミックスの映画化作品としては史上初めて、最高賞の金獅子賞を受賞した。
バットマンの悪役で知られるジョーカー。それは如何にして誕生したのか。
バットマンはこれまでの作品は概ね観ています!とくにダークナイトは面白かった!よくあるDCコミックスをシリアスに描くことができるのはクリストファー・ノーランの手腕によるところでしょう!
そのダークナイトのジョーカーに負けじとも劣らない素晴らしいジョーカーが誕生しましたよ!
では早速私なりの見どころをご紹介していきます。
- 見どころ1、ジョーカーを演じたホアキン・フェニックスの演技は文句なし!
- 見どころ2、引き込まれるストーリー。
- 見どころ3、メリハリの効いた演出。強弱の付け方が上手い!
- ここからは考察&妄想、そして自分なりの解説
- すごい!と思った演出、その1
- すごい!と思った演出、その2
- すごい!と思った演出、その3
- アーサーがジョーカーになった理由
見どころ1、ジョーカーを演じたホアキン・フェニックスの演技は文句なし!
ホアキン・フェニックスといえば「スタンド・バイ・ミー」や「グラディエーター」などにも出演された俳優。8歳から映画の世界に飛び込んで演技をされているので今さら演技が上手いやら下手やらはもう必要ありません。上手いんです!
今回の演技でさらにその評価が上がること間違いなし!
ヴェネツィア国際映画祭の審査員の一人であるカナダの映画監督メアリー・ハロンは「フェニックスの素晴らしい演技に非常に感銘を受けました。映画祭のルールが無ければ彼は男優賞に輝いていたでしょう。」と大絶賛!本映画祭の上位の賞はダブル受賞できないという規則が無ければフェニックスは男優賞を受賞していたと称賛を贈っており、アカデミー賞主演男優賞の最有力候補として太鼓判を押しています。
ホアキンさんはこの役、ジョーカーのために4ヶ月間で約24キロものダイエットをしたとか。かなり壮絶そうですね。。。1ヶ月で6キロ・・すごい。
そんなフェニックスは、2019年10月28日に45歳の誕生日を迎えたようです。おめでとうございます。
見どころ2、引き込まれるストーリー。
ヴィラン(悪役)の代表格ジョーカーは生まれ持った異端児、、、。そんなふうに思っていませんか?いえいえ、もともと主人公のアーサー(後にジョーカーとなる)は決して悪人ではなくむしろ善人者なのです。
アーサーは子供の頃から人を笑わすことが大好きで無邪気な人物。自分の転職と考え、大道芸人の仕事をしているが、上手くいかず失敗続き。上司にも仲間にもバカにされ、ついには子供たちからもからかわれる毎日。
そんなある日のこと、ちょっとしたイザコザに巻き込まれて証券マン3人を殺害してしまう。自分だけがなぜこんなにも不幸なのか。人を笑わせたいだけなのに。。。
苦悩しつつ、自宅にもどると同居していた母親が倒れて緊急搬送される。
倒れる前に母親から自分の出生の秘密を聞いていたアーサーは確かめるべく行動に移す。しかしそこでもまたさらなる衝撃の事実を知ったアーサーは自分の存在意義を見失ってしまう。
そんな人生のどん底にいたアーサーに光を照らしたのは、これまで苦しめられていた世間だった。証券マンの事件をきっかけに民衆は暴徒化し、道化師をトレードマークにしてデモや事件を繰り返していた。
アーサーが起こした事件が世間を揺るがしていたのだ。その事実をしったアーサーは「自分にもできることがあるのではないか?」とテレビ放送の生出演を決める。
その撮影日にアーサーが撮った行動とは・・・・・・。
バットマンシリーズはこよなく観ている僕としては、オリジナルストーリーとはいえバットマンである「ブルース・ウェイン」であったり、その執事「アルフレッド」が登場したりと、今後の関係性を匂わす登場人物がいっぱいでてきて、楽しかったです。
※アルフレッド役には納得できないけど!
内容について、「すべてアーサーの妄想」「アーサーは最後は死んでいるのでは?」「あれはこれで、これはあれで・・」等、色々と議論されていますが、僕が思うに各々観た人が自分はこういうふうに深読みしたよ!って話し合える余地がある映画ってことです。それって素晴らしいですよね!!
※あの「エヴァンゲリオン」の庵野監督いわく「すべての答えを言う映画より、わかりにくい映画のほうが良い」らしい。まぁエヴァは複雑すぎますが。。。笑
見どころ3、メリハリの効いた演出。強弱の付け方が上手い!
このセクターが一番言いたいことです!絶対に観てほしいんです!
たとえば
・あの階段のシーンとか、
・証券マンを殺害してしまうシーンとか、
・家で誤発砲してしまうシーンとか、!
苦しい生活の中でも笑顔、笑いを求めるアーサーに対して、同乗者からは冷たい目が注がれる。。。見ていて辛くなります。
アーサーや他の登場人物の心理状況をこんな演出で表現しているっていうのがすごい!素晴らしいアイデアが盛りだくさんで、観ているほうも自然とアーサーに感情移入しやすくなっています!
本当にこの映画はすごい。ストーリーに目がいきがちの本映画ですが色々と見どころ満載であります!!!!
※映画サイトのレビュー記事でも大体、演技とストーリーが中心な気がする。そこも文句なしですごいんだけどね!
そして最後に言いたいことは、
この映画は悲劇のジョーカーではない。悲しい映画でもない。
この映画、そしてジョーカーの人生は○○だ!ということです。
これに気付かされたのは最後の最後でした。。。。最後に気づいちゃったらもう一回見るしかないやん!!ずるいよ!!卑怯だよ!!!(ということで2回め観ました。笑)
ここからは考察&妄想、そして自分なりの解説
映画も見たので色々と他の方々のレビューやら考察を観て回ってます。(お邪魔しました〜。笑)そこで思ったのは皆さん、ストーリー(脚本)、あらすじに対しての考察が多いですね〜。サスペンス小説さながらの名推理っぷりで、めちゃくちゃ勉強になります。
明智小五郎もびっくりしていることでしょう。
例えば、よく考察されていたのが、「母親を殺した理由」。
・母親から聞かされていた出生と現実が違って不満だった。
・自分の夢(コメディアンになること)を否定された。(「あなたにできるの?」)
そしてそう思った理由が、「母親のソファに銃を向けていた」とか、「嫌な名前だ」と言った。などでした。正直、読んでいて「すげーな。そんな考察&妄想できるのか」とすごい驚きました。
こういった深い考察を読んでいると、貴志祐介さんの「悪の教典」での最後の蓮見のセリフが浮かんできます。
僕の映画の観た感想としては、自分の生活の重荷になっている母親が疎ましかったけど、「実母だから」と心を抑えていたけれどそれが本当は「養子」だったと知り、その心の支えが無くなった。そうなると自分にとって邪魔なものは消し去りたい。と考えたのではないでしょうか。
そして「嫌な名前だ」のセリフについては、これまで愛していた母親も一度嫌いになるとその名前さえも聞くだけで鬱陶しくなるくらい嫌いになったことを表現しているものだと考えます。
考察の切り口、考え方としてセリフを
・動機やストーリーの種まきとして捉えるか、
・観客にどうやって伝えようとしているのか
の捉え方の違いなのかなーと思います。
なので、あらすじに対しての考察はおまかせするとして、僕は演出に対してすごいな!と思ったところを解説したいと思います!
すごい!と思った演出、その1
証券マンを殺害してしまうシーン。
こちらも大体ほかの方の考察は「暴力的な素質があり、それが抑えきれなくなった。」っていうのが大半。これってよく読むとそりゃそうだなんですよね。
僕が、このシーンで一番面白いな!とおもったのはライトの使い方です。「え?ライト?」と思われるかもしれませんがこれがわかりやすかった!どんなシーンかというと、電車にのっているアーサーと証券マンが言い争いになり、殺害してしまう。
アーサーたちは夜に移動しています。そして電車は地下に入っていく。
そこでみなさんも車でトンネルなどを通過したときのことを思い出してほしいのですが、車道を照らす照明が一定間隔で設置されていますよね。照明があるところが明るくて、照明と照明の間は暗くなる。この演出が使われています。
つまり、アーサーたちの乗っている電車の中がライトにより明るくなったり、暗くなったりするんです!
これの何がすごいって?
これはアーサーの心理状況をわかりやすく伝えようとしているのです!優しい大道芸人アーサー(明るい状態)と狂気に満ちた悪人ジョーカー(暗い状態)が入れ代わり立ち代わり。アーサーからジョーカーになろうとしている、悪の心が出てきては消え、出てきては消え・・・。アーサーの心の葛藤を見事に演出されている!
言葉にならない衝撃を受けました。。。見事なり。
すごい!と思った演出、その2
度々でてくる苦行のような階段のシーンです。
このシーンの階段ですが、
アーサーの住んでいるマンションはこの階段を登った先にあるというのがわかります。
いつもアーサーはカウンセリングの後や、仕事が終わるとこのめちゃくちゃ長い階段を登って自宅に帰っていきます。
これの何がすごいって?
この階段、登るシーンがほとんどなのですが、唯一降りていくシーンがあります。
それはいつかわかりますか?
そうです。ジョーカーとして覚醒(?)した後だけは階段を降りています。
普段の生活で苦悩や、悲しみ、つらい日々を送っているアーサーにこの階段を登らせることでアーサーの心情を観客に暗示させて伝えようとしています。
そしてジョーカーとなった後は階段を降りていく。そう清々しいほど気持ちよさそうに。苦しみや葛藤、背負っていた重荷などを放り出し、身が軽くなった思いなのでしょう。それを階段を降りさせることで演出し、そしてホアキンさんは見事に演じておりましたね!人(アーサー)が変わったことが観ていてわかりやすく伝わります。
ジョーカー(神)の降臨を感じさせるような。。。見事なり。
すごい!と思った演出、その3
最後の最後のシーン。ジョーカーが言ったセリフのこと?あのカウンセラーがヴィランなのか?いいえ、違います。そんなストーリーに対する考察はしません。笑
ではどこか。それは精神病棟と思われるところでカウンセラーを殺害し廊下を歩いている。そして看守に気づかれて右へ左へ逃げ惑うシーン。
これの何がすごいって?
このシーンを観たときに「ん?どこかで観たことあるなぁ?」と感じたんです。でモヤモヤしながらエンドロールを観ていたのですがその時にハッ!と気づきました。
あれって日本だとよくあるコントのシーンなんですよね。ドリフターズとか欽ちゃんとか吉本新喜劇とか。
ジョーカーは劇中で度々「俺の人生は喜劇だ」といっています。そして「それは起こったことへの捉え方次第だ」と。「お前たちも笑えよ」と。
この映画、悲惨なシーンや辛いシーンが多数でてきていますが「ジョーカーの人生は喜劇なんだ」という、監督からの強いメッセージに思えてくるのです。
そう思って映画「ジョーカー」をみるとまた違った考察が出てきたりします。
これを最後の最後に伝えてくる監督。。。。ドSなり。(もう一回観たくなるでしょ!
日本でも大ヒット公開中!
まだ観ていない人はぜひ観てほしい映画です!
え?ここまで読んでる人はほとんど見てる方だって???
まぁそう怒らずに、笑っていこうよ。
アーサーがジョーカーになった理由
アーサーがジョーカーになった理由。アーサーは子供のころからコメディアンになることが夢。いつも子供とボールやおもちゃで遊んで、今日の朝食にパンを食べたけど美味しくなかったけど、ウェイトレスの人が可愛くてまた買いに行ってしまいそうだとか、そんな普通の会話して、ただただ笑顔に、笑って過ごしたいと願う大道芸人。
それなのに、自分の想いと社会環境が上手く噛み合わず、アーサーはいつもはみ出しものの生活を送っており、社会に対して絶望感のようなものを感じている。精神疾患と診断されて以降、精神科医療でリハビリテーションを受けにいっても、アーサーの話は聞いてもらえないカウンセリングばかりで、「昨日は何を食べた?」「ストレスは感じている?」「仕事はどう?」といつも同じ質問にもウンザリしていた。
そして、ひょんなことから証券マンを銃で殺害してしまうアーサー。私の考えでは、
殺害のきっかけは証券マンを恨んでいたというより、同乗していた女性を助けたいという想いのほうが強かったのではないでしょうか。
女性を助けたいけれど、自分は喧嘩も強くないし、会話して丸め込めるほど達者でもないアーサーは、その場に持ち合わせていた銃を使って、自分の「女性を助けたい」という想いを成し遂げようとした。(銃を持っていた理由は割愛します。)
それを証明しているのは殺害した後のアーサーの挙動です。
証券マン3人を殺害した直後にアーサーはかなり動揺しています。殺すことが目的ならば殺害した後は目的を達成したので興奮するのではないでしょうか。(ある意味、動揺も興奮ですが意味合いがちがいますね)
そして一旦落ち着くためにトイレに駆け込む。これは明らかに殺害は衝動的な行動ということがわかります。
後日、新聞やテレビ、ラジオなどで「ピエロ姿の殺人犯」として指名手配されますが、それをアーサーは喜ぶどころか、最初は怯えています。
いつかバレるのではないだろうか、
自分は塀の向こう側へ連れて行かれるのか・・・。
社会に溶け込たいのにいつもはみ出しもの扱いで、今回も社会からつまみ出されるんじゃないだろうか。(殺害しているので当然といえば当然ですが)
アーサーはとても怯えていました。決して自分の行い(殺害)を誇らしく思っている様子は微塵もありません。
しかし社会は「ピエロ姿の殺人犯」を放ってはおらず、報道される毎日。警察は躍起になって「ピエロ姿の殺人犯」を探しだそうとしますが、世論は違いました。
「女性を助けたい」という意図とはつゆ知らず、成金で鼻持ちならない証券マンを殺害したピエロを褒め称える風潮さえ出始めます。経済格差で虐げられてきた人々、人種差別、など世の中の不満がピエロ姿の殺人犯をきっかけに爆発します。デモや暴動などがあちこちで発生するようになっていく様子が映画でも描かれています。
ここで重要なのは、あの事件がきっかけでアーサーが変わったのではなく、世間が変わり始めたということです。これまでは優良な成績を収めた優秀な学生、社会人が褒められるだけで、その他は人としても見てもらえないような世の中であり、それに不満を持っている人々があちこちで立ち上がります。その暴動やデモは日に日に大きくなり、警察も手のつけようがないほどに拡大し、街全体がピエロ姿の市民で溢れかえる状況にまでなります。
そして、世間が変わり始めたことにより、ついにアーサーははみ出しものではなくなります。いままで忌み嫌われていた存在だったけれど、世の中のたまった不満を吐き出させてくれるきっかけを作った人物であり、称賛され、称えられ、人によっては神のような存在にまで偶像化されていきました。
皆さんも経験があるのではないでしょうか?神とまではないかもしれませんが
・転校した学校で、最初は仲良くなれなかったけど、何かをきっかけに仲良くなった。
・途中出場した試合で活躍し、その後はエースに抜擢された。
・勤めている会社の部署では窓際だったけど、大口契約を獲得して部署長になった。
など、身近なところでもありそうです。
本人が変化することもありますが、むしろ周りの人々、周りの環境が変化することで人生が変わったように感じることが多々ありますよね。
周りに認められたと感じた瞬間はなんともいえない幸福感があります。自分の居場所を見つけたような、生きていて良い、ここにいていいんだという素直に喜ぶ感情はなにもにも変えられないでしょう。
アーサーがジョーカーになった理由。
それは最初からジョーカーになろうと思ったのではなく、世の中がジョーカーを求めていた。そしてそのきっかけを作ったアーサーが名乗りを上げ、昇華していった。その理由は混沌とした社会の中に、自分の居場所を見つけたから。
社会を混乱させたいのではなく、混乱した社会の中に自分の居場所がある。それを知ったジョーカーはこれからも混沌とした世の中を作ろうとし続けるでしょう。